49.キャラクターと癒し 2000.7.29


 最近はそう聞くこともなくなったけど、今回は「癒し系キャラクター」ってなんなんだろうってことを書いてみました。 内容は前回に引き続き、タイトルだけはなんだかすごいシリーズでお送りします(^^;)。というか、”だてめがね”でおなじみの香山さんの著書からパクったようなタイトルですね。


癒し系にもの申す!?

癒し系…。そんな言葉がもてはやされた頃にこのコーナーもできたから、いつか取り上げてみようか…、なんて思っていたらずいぶんと時がたってしまいました。
そんで、いろいろ考えてみたけどやっぱり癒し系にもの申したいことなんてなにもないや、というのが結論だったりします。でもそれじゃー終わってしまうので、結論へ至る考えでも書いてみたいと思います。


癒しって…

癒し系とよく似た使われ方をされている「なごみ系」という言葉がありますが、これは別にいいんですよ(ってなんか今回は偉そう)。見ているだけでなごむキャラなんだなあ〜、という想像がつきますから。でも「癒し」となると、意味がちょっと広すぎだよなあと、そのあたりがひっかかるんでしょうね。


ヒーリング・キャラクター

例えば音楽の話になりますが、ヒーリング・ミュージックってのがあります。”聴くだけで落ち着く感じ”になるという癒しの音楽ってやつです。でも実際のところ他のジャンルの音楽にだって、癒しというのは必ず入っている要素…ですよね。ただ癒されるかどうかは、前述のものに比べると聴く人の趣味に左右はされると思いますけど。

話を戻して、キャラクターの場合も音楽と同じように癒しの要素というのはどんなものにも入っているものだと思います。
ではまた、音楽のようにヒーリング・キャラクターなるものは存在するのでしょうか。
これを例えば小鳥のさえずりや波の音、整頓された部屋などの、人の価値観に左右されない”生理的感覚から生まれる安らぎ”を与えるキャラクターだと定義づけると、そんなものはいないでしょうね。
だってキャラクターって好みがすべてですからね。誰かから見たらかわいいキャラでも違う人から見るとそうでもないのと同じで、どんなキャラで癒されるかなんて個人によって全然違うのです。たれぱんだのようなのんきな雰囲気で癒される人もいれば、ねこぢる漫画の腹から内蔵はみ出しているようなイラストの方が…って方もいると思うし(^^;)、その両方あてはまる人だっていると思います。


感情のシンボルになる”キャラクター”

キャラクターに癒されるということは、何も見た目がすべてというわけではありません。例えば感動した漫画やゲームなどの作品に登場するキャラクターのグッズを持ちます。この場合、その感動を呼び起こさせてくれる象徴的存在になりさえすれば、作品中のどんなキャラのグッズを持とうとほぼ同じ感情を抱くことが出来ると思います(もののけ姫の「こだま」…のような感じ?)。

更に言うと、キャラクターには感情を封じ込める力があるんです。グッズを誰からもらったか、どんな心境の時に出会ったか、などの積み重ねで今後そのキャラから抱くイメージが固定されてくるんです。その中でも最も大事なのはキャラクターとの最初の出会い(第一印象)でしょうね。それが好きな人から貰ったとかならいいですが、嫌いなやつが身につけていたとか、「えー、まだこのキャラ知らないの?」なんて流行を気取った頭悪い人から存在を知らされるなどと言ったキャラとの出会い方は最悪といっていいでしょう。
例えそのキャラがどんなにデザインに優れていても、最初のイメージを払拭し、自分の中の「癒しキャラ」にまで持っていくことは至難の業です。


癒し系キャラはなごみ系?(当たり前)

キャラクターデザインだけで癒しキャラかどうか判断できない…。そうすると、じゃあ巷で言われている癒し系キャラってなんだ? となりますが、実は冒頭で言った「なごみ系」キャラのことを便宜上そう呼んでいるだけなんですよね。
……どんな便宜かというと、ブーム的な見方でしょうか。例えばキャラクター(グッズ)を作るにしても癒し系キャラって言っといた方がおもちゃ問屋の食いつきがいいとか(その前に僕の中の問屋のイメージって一体…)。
まあそれはともかく、「癒し系」=「なごみ系」なんてこと今更書かなくても誰でも知っている(気がついている)んです。
ということでここに書いたことのほとんどは、結局言葉の使い方に対してなんだかんだと言っているだけの、ややもするとただのナンセンスなおはなしになるだけなのでした。

というわけで、癒し系に対して何か言いたかったけどやっぱりなんでもないという結論に至るまで、でした。
なんだかおあとはよろしくないですが、これにてとっとと失礼します(^^;)。


49−2.キャラクターと癒し(つづき) 2001.2.27

前の文章(この上のやつです)がちょっと中途半端だったので、かる〜く、書き足したくなりました。以下その文です。


癒し!
そう、それはたしかに人が暮らしていく中で、とても大切なものだぞ!
でも、「癒しブーム」みたいなものには、なにか拒否反応が出る…。
なんでだろ。
そんなことを思ってた頃、「巨人のドシン」の作者の飯田さんが「”癒し”とか言ってる場合じゃないだろ」とかいう文章書いてるのを見つけて、やっぱりそうだよなあとは思ったものの、じゃあどういう場合なんだろと、更にわけわかんなくなってしまったり。

そんなわけわかんない中で書いたのが、下のコラムの文章だったんだと思います。
それで最近になって、ふとこういうことなんじゃないだろうか、と思ったので、再びこの場で癒しをテーマに書いてみることにしました。


まず、大事なことは
「何に癒されるかなんて、その人の好みや、時と場合(その人の精神状態)によって違う」ってことです。

そこから、自分が感じていることってなんだろう、ということを突き詰めていくと、
「癒し」っていうことは大事なことだけど、流行りとして画一化された「癒し」って、なんだかつまんないなー。
っていう考えに至りました。僕が「癒しブーム」に対して違和感を感じていたのは根底にこういう気持ちがあったからだったんだ、と気づきました。


例えば、「自分だけの癒し」をどこかへ探しに行く。
そんな行為自体がすでに、癒しに通じていると思います。


このあたりまえのことに気づくのに、ずいぶんと遠回りしちゃったのかな〜。

なんて思いながら、今僕はキーボードを叩いてます。


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