■「マジコン」販売禁止命じる 東京地裁、任天堂の訴え認める判決
マジコンを使って不正コピーしたゲームで遊ぶ行為が、ここ数年かなり問題になってるみたいですね。アンダーグラウンドなところでこっそり利用するならまだしも、最近は節約術の一種とでも思ってるのか、親が子供に買い与えるケースも珍しくないそうで。一ゲーム好きとしては、こうしたマジコンをめぐる話を聞くと、「いつから日本はこんな国になったんだ…」と、暗澹たる気持ちになってしまうんですが、この感情は「悪いことはやっちゃだめ!」っていう単純な正義感からくるものでもなくて、もっと一言では言い表せないような複雑でもやもやとした気持ちなんですよね。これってなんなんでしょうか。
とりあえず1つだけ思うのは、「本当にそれで楽しいの?」っていう疑問です。ゲームで遊ぶっていうことの中には、実際にコントローラを操作すること以外も含まれると思うんですよね。僕が子供の時にはその前後にいろいろありました。どのゲームが面白そうかとゲーム雑誌とにらめっこしながら考えたり、少ないお小遣いを必死に貯めたり、時には親にねだるために作戦を立てたり、そしてやっとの事でお金を貯めて、レジの人に欲しかったタイトルを伝えるときの高揚感、いざやってみたらダメゲーだった時のがっかり感。更に後で、ダメなゲームの話で友達と盛り上がったり。そういうところも含めてゲームの楽しさだし、思い出になると思うんですよね。
自分から何もかもわかっててマジコンを利用している人に対しては正直「好きにすれば」って思うんですが、親にマジコンを買ってもらった子が、そういう世界があることを知らないままゲームソフト”だけ”を遊んでるっていうのは、単純に気の毒に感じてしまいます。
もちろんマジコンに対する違和感はそれだけじゃなくて、楽しませてもらったものに対して感謝の気持ちを込めて対価を払うっていうやり取りが持つ大切さが蔑ろになっているのもありますしね。
本来タダじゃない創作物をタダで手に入れていた人が、クリエイティブに対して敬意を感じたり、自分もその道を目指したいと思うのって難しいと思うんですが、そのことだけでも様々な可能性を狭めてしまっている気がします。
マジコンに限らず、最近は給食費の未払いとかいろいろありますよね。サービスを受けておきながら、お金を払わなくて済む方法があるなら、その方法の是非は置いといてとにかく払わないっていう考え方。それでその人の懐が一時的に豊かになるのかもしれないけど、そんなことをいくら繰り返したって、本当に豊かな生活なんて送れないと思うんだけどなぁ。