表現者としてのファンタジー

MEMOMUSIC

Mr.Childrenが2015年にリリースした『REFLECTION』というアルバムの中に、「fantasy」という曲が収録されています。この曲、すごく好きなんですよね。当時、車のCM(BMW 2シリーズ アクティブツアラー、グランツアラー)に起用されていたので聞き覚えのある人もいるかもしれません。

この曲、僕にしては珍しく歌詞が好きなんです。歌詞そのものもだけど、詞の構造的な部分が好きなんですね。

「誰もが孤独じゃなく 誰もが不幸じゃなく
誰もが今もより良く進化してる」

これがサビの前半部分(カッコも歌詞の一部です)。で、後半部分が

たとえばそんな願いを 自信を 皮肉を
道連れに さぁ旅立とう

と続きます。ここでキーになるのは後半部分に出てくる"皮肉"っていうフレーズです。前半部分の歌詞って、それだけで見ると頭空っぽにも思えるような絵空事です。そんなわけないっていう。そこを後半部分で打ち消してシニカルな印象を抱かせるという構造になっているんですね。更に2番では"皮肉"の部分に"嘘"という、より強い言葉が当てられています。

で、この曲がなんでこんな構造の歌詞になっているのかという部分について。冒頭で触れたとおりこの曲はCM曲です。となると、求められるのは泥臭いメッセージ性ではなくて、"J-POP"という言葉を聞いて思い浮かべるようなキラキラして当たり障りのないさわやかなイメージ、ということになります。

実際、改めてCM(検索すれば出てきます)を見てみると、さわやかで何の不安もなさそうな家族が映る映像の背景に、この曲のちょうど当たり障りない部分だけが聞こえるように配置されています。

Mr.Childrenといえば、日本の芸能史を振り返ってもあまり例のない規模の成功を収めたロックバンドと言って差し支えないと思います。そのほとんどの曲の作詞、作曲、ボーカルを担当している桜井和寿さんは当然、日本の音楽シーンの中でも屈指の影響力を持ったアーティストだと言うことになります。

そんな輝かしい成功を収めたはずの桜井さんがなんでこんなにも苦悩に満ちた曲を作り続けることができるんだろう? と、ふと思ったりもします。

それが芸風だから、という捉え方もあると思います。さっき、J-POPのイメージをキラキラして当たり障りのないものと書きましたが、一方でちょっと皮肉めいた歌を歌う人というイメージが桜井さんにはあります。

そう見ていくと、この「fantasy」は表層には世間一般がJ-POPに求めているキラキラしたイメージを纏いながら、その実は皮肉めいたメッセージが込められている曲なんだけど、それもまた、世間が桜井さんに求めているイメージをなぞってみただけ、とも見ることができます。

じゃあこの曲はイメージだけの中身からっぽ曲なのかというと、もちろんそんなことはなく、やっぱりこの曲には桜井さんの強いメッセージが込められている思うんですよね。

一般人からすると、桜井さんほどの人ともなると、一言何か発するだけで、その言葉が何千、何万人という人の心に瞬時に届き、時にはそれが世の中を変える力になることすらあるんじゃないか、なんて思っちゃったりするんだけど、実際にはそんな簡単なものじゃないんでしょう。

この曲のサビのいちばん目立つ部分で歌い上げたフレーズは、桜井さんがいちばん届けたい部分でもあるんだと思います。ただこの歌詞は、理想をそのまま歌にして、それを額面どおりに共感してくれる人がたくさんいるならどんなに簡単なんだろうという、表現者としてのファンタジーを体現したものでもあるんじゃないかとも思うんです。でも現実にはそんなことあるわけない。だからこれは皮肉で、勘違いで、嘘かもしれないけど、この曲を聞いてどこかで誰かが、1人でもいいから、ゴミ箱に捨てたファンタジーをもう一度拾ってくれたら。この歌詞の構造に、そんな切実すぎる思いを感じてしまうのです。

急に何でこんなことを書いたかというと、本日5月10日はMr.Childrenのデビュー26周年で、それを記念して過去にリリースした全シングル、アルバム曲が配信リリースされるというニュースを見て、この曲について何か書きたいと思っていたことを思い出したからでした。

ちなみにこれはたまたまなんですが、今ご覧頂いている「CHARA PIT」というサイトも今日で19周年になるんですよ。正直、いつのまにそんなに? という感じですが、これからものんびり続けていこうと思ってます。

Posted by CHARA PIT