『いやいやえん』の思い出
今月はベストセラー絵本『ぐりとぐら』の作者として知られる中川李枝子さんの訃報がありました。
僕は『ぐりとぐら』についてはなぜか子供の頃に触れる機会がなく、大人になってから読んだのでそこまで思い入れはないのですが、中川さんのデビュー作となる童話『いやいやえん』に関しては並々ならぬ気持ちがあるんですよね……。
『いやいやえん』は保育園に通う年少のしげるちゃんという男の子が主人公のおはなしが7編収録された童話集です。僕がこの本に触れたのは小学4年生の頃なので、かなり遅くして出会ったと言っていいかもしれません。
当時、休み時間だったのかな。教室の窓際にある自分の席に座って何をすることもなく佇んでいたところ、そのちょうど真横にあった本棚(学級文庫というやつですね)に見慣れない書籍を見つけました。
その本はひときわ異彩を放っていました。なぜなら、背表紙がガムテープでぐるぐる巻きになっていて、見るからにぼろぼろになっていたのでした。ガムテープには上からマジックで「いやいやえん」と書かれていました。
なんだこの不気味な本はと思いながら手に取り、おそらく冒頭のプロローグ的なおはなしである「ちゅーりっぷほいくえん」と、その次の「くじらとり」を続けて読んだんだと思うのですが、正直、自分の体に何が起こったのか分からないくらいの衝撃を受けたことを覚えています。
だってさっきまで、保育園で作った船で航海に出る年長さんたちを見送って、冒険の果てに無事帰ってきたところをお迎えしてたはずだったのに、本を閉じたらなぜか小学校の教室にいるではありませんか。このとき僕は「本の中に入る」という体験をはじめてしたんだと思います。
今になって改めて読むと、「くじらとり」は現実と空想がシームレスに繋がった構造になっていて、そこが現実と空想が明確に切り分けされていない幼心(というほど当時の僕は幼くないですが)に作用したのかな、なんて冷静に分析もできるのですが、当時の僕は何回読んでもこのおはなしのどこが不思議なのか、理解できていなかった気がします。
ちなみに、大人になって当時小1だった甥っ子に「くじらとり」を読み聞かせてあげたことがあったのですが、僕の読み方が下手だったのか、割とすぐに「あれ、このおはなしおかしくない?」と指摘を食らってしまいました。「いいからいいから」とむりやり最後まで読みましたが……。
いろんな果物がなる木が登場する「山のぼり」と、最後に収録されている表題作「いやいやえん」も大好きなおはなしです。この本を読んで、なんでこの本の作者はこんなに子供の気持ちが分かるんだろうと不思議に思った記憶があります。
僕の親は両親とも割と甘やかしの親だったので、厳しくしつけを受けたことなんて一切ないし、お金がかかること以外はなんでも言うことを聞いてくれるようなタイプでしたが、それでも「なんで自分がこう訴えているのか、全然理解してくれない」と常々思っていました。でもそれは自分の親だけではなく、世の大人にとって子供の言い分なんて取るに足らないようなことで、理解できないと言うよりもわざわざ理解するにあたらないことだと思ってるんだろうなと感じていました。
でもちゃんと理解してくれている大人もいるんだ。僕もこの本の作者のように子供の気持ちが理解できる大人になりたい。今の自分が抱いた感情を大人になっても忘れないでいられるようになりたいと強く思った記憶があります。
大人になって中川さんのサイン会に参加して直接お目にかかったときも、本当に実在してるんだと、素直な感動とは別に不思議な実感があったことを覚えています。
あれから、いろんな本を読んだけど結局「本の中に入る」体験は、あのときの1回だけだったなぁ。そんなわけで、中川さんにサインしてもらった『いやいやえん』はずっと僕の宝物なのです。
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