東京メトロ丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅前に、爆笑問題の田中さんが売れない頃に働いていたというコンビニ(通称・チビストップ)があります。
同じ建物には東京靴流通センターの店舗と、チェーンを展開する株式会社チヨダの本社が入居しています。上階にはかつてボーリング場があったそうで、十年とちょっと前まではその跡地にアニメーション制作会社のマッドハウスが入居していました。
そんなよくある駅前のビルの中に「書原」という本屋さんが、つい少し前まで存在していました。
15年前、東京に引っ越してきてまず驚いたこと――。僕にとってそれは、渋谷のスクランブル交差点をすいすい行き交う人の波でも、新宿駅のダンジョン構造でもなく、家から最寄りの本屋さんだった書原の品揃えでした。
「駅前の普通の本屋がこんな品揃えなの!? 東京ってすごい!!」
もちろん、東京の本屋が全部そんな品揃えだったわけではなく、書原が特別すごいということは、しばらくしてから気づくことになるのですが、それでもこういう本屋が駅前に存在していて、いわゆる”普通の駅前の本屋”として機能していながら、ここまで個性を出した棚づくりができるという事実への驚きという意味では全く変わらないものがありました。
僕の中で書原は、単なる最寄りの個性的な本屋さんという存在以上の、東京という街の文化的な豊かさを象徴するかのような存在だったのでした。
この15年の東京生活の中、ずっと南阿佐ヶ谷から離れられなかったのも、そこに書原があったからでした。
そんな書原が閉店する2月19日、最後のお別れに行ってきました。レジには列ができていて、いろんな人が店員さんに一言、お別れの言葉を掛けていました。
「小さい頃から、ここの本で育ちました」
「幼い頃、親にここで「めばえ」を買ってもらったのよ」
Twitterでもいろんな人がお別れの言葉をつぶやいていました。いろんな人の思い出に触れ、僕は書原のことを1%も知らなかったんだろうなと思いました。
書原の閉店時間は通常、平日が24時半、日曜は23時半でしたが、閉店当日は日曜にも関わらず24時半過ぎまで開いていました。終電後の時間となるため、最後まで見届けようと残っていた人も多くが帰ってしまったようで、本当の最後まで残っていたのは5、6人くらいでした。
お店の方の最後の挨拶が終わり、扉が閉まりました。その後、しばらく店の前でぼーっとしていたら、いつの間にか他の人達は帰っちゃって、自分1人になっていました。僕なんかが最後まで残っちゃったことに気まずさを感じつつ、家路につきました。
あの頃ーー。
南阿佐ヶ谷に書原という本屋があった頃。
いつかそんな風に思い出すんでしょうか。
これからは書原のないこの街で暮らしていきます。
さようなら。