岩田聡さんへのインタビューの一部です。
岩田さんの当時の肩書きは”任天堂 取締役経営企画室長”。
ちょうどハル研究所から任天堂へ移籍して約1年経とうとしていた頃ですね。
任天堂的にはゲームボーイアドバンスが発売された月になります。
この時は、「MOTHER3」がゲームボーイアドバンスで発売されることになるなんて
誰も思っていなかったわけで…。
『MOTHER3』の可能性
―― これだけは岩田さんに聞いておかなければならない質問があります。『MOTHER3』についてなんですが。
岩田 はい。
―― N64では開発中止になったわけですが、ゲームキューブやGBアドバンスで出るようなことはないのでしょうか?
岩田 わからないです。ただ、いま作っているわけではありません。でも将来はわかりませんね。だって、2年前に私が任天堂でこうやって取材を受けるなんて想像もできませんでしたから。だから2年先のことは想像もつかないですよね。ただ、1年先のことを考えたときに、いろんなチームがそれぞれの予定のなかで走っているわけです。そこには『MOTHER3』は入っていないんですね。
―― 小説にしたり映画化するような話は?
岩田 ゲーム以外の話については、任天堂もハル研も一切関与していないんです。それは糸井さんが決めることになるでしょうね。
―― 開発中止の理由を発表したのは、「ほぼ日」の座談会だけでした。
岩田 僕らがあのホームページで長時間語ったのは、あそこにすべての気持ちを込めたかったからで、それ以外のところで想いを語ってしまうと、お互いにとって信義の点で思わしくないと思っているんです。もちろん、『MOTHER3』を楽しみにしていた人たちには申し訳なかったなという思いはずっと消えていないですし…。自分で実現しようと思ったことが実現できなかった事実はずっと忘れられないでしょうけど…。
―― ただ、インターネットに接続できないファンもいるんです…。
岩田 確かにあの場で発表したというのは議論が分かれるところでしょうけど、糸井さんのメディアだったからこそ、僕らも1歩踏み込んでお話しできた部分もあるわけですね。それに、糸井さんがこのことについて他のメディアで語らないのはすべてを語りきった想いがあるからだとおもいます。でも、ニンテンドードリームの読者からすると「冷たいよね」と言われちゃうかもしれないですね。
●Nintendo DREAM 2001年5月号(毎日コミュニケーションズ)より
特に情報があるわけではないですが、
N64版が開発中止になり、GBA版が決まるまでの間に
岩田さんや糸井さんがMOTHER3について語るという場面は
ほとんどなかったと思うので、そういう意味では
貴重なインタビューだと思います。
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