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今回も「64DREAM」。
糸井さんと宮本さんの対談となっています。
中身はいくつかのパートに分かれていて、
まず、対談部分は
PART1が2人が最初に出会った頃の話。
PART2がロクヨンはこのままで大丈夫なのかという話を広告(主にテレビCM)の観点から。
PART3が64DDの可能性についての話。
そして、お二人へのQ&Aコーナー。

ここでは対談のPART1部分と
Q&Aコーナーの糸井さんへの質問部分のみを掲載しました。













糸井事務所で語られる
人生相談と世界戦略

『MOTHER』誕生前夜
食い違う二人の記憶


―― お二人の出会いから聞かせてください。

糸井 最初は僕が任天堂にうかがったんです。86年~87年ぐらいかな?広告代理店の関係の方がゲームファンだった僕を任天堂に紹介してくれ、そのとき『MOTHER』の企画書を持っていったんです。

―― 広告のお仕事ではなかったんですか?

糸井 それはもっと前に、どこかの代理店とプレゼンテーションで行ったことがある。

宮本 そうそう、、『マリオ』の。

糸井 全部実写でやるっていう企画だったんです。

宮本 覚えてます。子どもが見たいマリオはこれだ、って。

糸井 まあ、たいした企画じゃなかったですね(笑)。コピーも忘れたあ。

――『MOTHER』の企画を持っていったときに話を聞いてくれたのは誰だったんですか?

糸井 今西さん(現・取締役広報室長)と、誰だったかな、忘れちゃったけど開発よりの人。で企画を説明すると「そうですか、ワハハハ」みたいな感じで(笑)。僕も「そうですよ、ワハハハ」なんてやってたんだけど、「そのへんの話は開発に詳しいものが聞いた方がいいでしょう」って言われて宮本さんを紹介されたんです。そのとき宮本さんが社内の制服を着ていたと思うんだけど、そう! みんな制服を着ていたんですよ(笑)。工場労働者のようなグレーのジャンパーを。不思議なイメージでしたよ。急にそういうジャンパーの人にいっぱい会うっていうのは。

宮本 毎日着てる方は気持ち悪くないんだけど、よそでそういうものを見るとね(笑)。

糸井 気持ち悪いっていうか、初めて見る! っていう感じがあるんだよ。80年に中国に旅行に行ったんだけどそのときに似た感じがあったよね(笑)。で、宮本さんは今も昔も変わらず思ったことをそのまま言う人なんで、僕は涙がこぼれそうになったんです(笑)。

―― 『マザー』の企画を叩かれた?

糸井 叩かれたワケじゃなくて、今思えばなんでもない話なんだけど…。僕、広告っていうソフトを作っているじゃないですか。広告って、「このアイディアでいけるぞ」って最初にひらめくとそれでいけちゃうんですよ。ところがちっとも感心してくれなかったんですよ、宮本さんは。「はあ。はあ」って普通に聞き流して、「どう作るか……、ですよねえ」って(笑)。

宮本 覚えてますよ。でもその前があって、ある日突然予告もなしに代理店の人たちに連れられて、糸井さんが開発室に入ってこられたんですよ。

糸井 えっ、そうだったんですか?

宮本 そう。で、「あっ、糸井さんが来てはる……」って見てたら、『スーパーマリオ』を作った宮本ですって紹介され挨拶したんです。そしたら糸井さんが「おめでとうございます」って言わはったんですよ。それを聞いて、そうかそうか売れるっていうのはめでたいことなんや、なかなかええ挨拶やなと思ったんです(笑)。そのとき若いスタッフが何人か糸井さんにサインをねだって、あとで「おまえらは管理がなっていない。会社というものを何と考えているんだ」って上の者からこっぴどく怒られました。

糸井 サインの話は覚えてないなあ。開発室に入ったことは思い出した。『夢工場ドキドキパニック』の主人公の少年が岩をよじ登っている絵を作っているモニタ画面を見て、「こんなんして作っているんですわ」って宮本さんが言ってくれたんだ。

宮本 そんなこと言いましたっけ?

糸井 お互い覚えている場所が違うんだよ。「おめでとうございます」って、オレうまいこと言うなって思ったよ、今(笑)。

宮本 僕は最初から、糸井さんにやってもらえるなら一緒に作ろうという気だったんですよ。ただ本気でやってもらえないと嫌だって言ったんです。名前だけ借りてくるのは意味がないんで。2回目に会ったとき、開発資料を持っていったんですよ、ドカッと。これだけのものを書くんですよって。これだけ書いてくださいねって脅かしの意味で(笑)。

―― 糸井さんは『MOTHER』の企画を叩かれたときに…。

宮本 いや、叩いてないよ(笑)。

糸井 君は短絡的だよ(笑)。

―― (笑)ひどい人だなって?

糸井 そうは思わないよ。無力感、自分に対する悲しさでしたね。なんてオレは甘かったんだろうって気分。やるんだったら企画書の厚さなんて全然へっちゃらだったんですよ。だけど、厚さの問題じゃないからね。厚さは平気だけど、すげえぜって言われるものを作るのはたいへんだなって思いました。帰りの新幹線に乗ってから、どうやってやったらいいんだろうと考えてたね。その後、どういうチームと一緒にやるべきかって言うのを任天堂で考えてくれたんです。

宮本 それで初めてまともな打ち合わせをしたんですよね。

糸井 そこで会ったチームの人たちは、僕がその打ち合わせともう1回ぐらいで終わりだと思ってたんですよ。いわゆる監修というかたちで関わっているんだと思ってたらしくて。これは自分らで全部やらなくちゃと思ってたら、その後も僕が関わっているんで「そうじゃなかったんだ」って気がついたらしい。

放課後の部室ノリで
語られる世界戦略

糸井 クリエイティブに関わる人たちって、知り合っちゃうと速いね。徐々に親しくなっていったって感じは全然なかったなあ。

―― お互いのどんな部分に惹かれたんですか?

糸井 惹かれた部分? ギャハハハハ。

―― 仕事は尊敬するけれど、人間どうし会わないパターンだってあるでしょう?

糸井 あり得るんだけどさあ、でもオレの場合仕事を尊敬したら、人間どうし合わなくてもオレがそれを埋める。すっげえイヤなヤツでも本当に仕事が尊敬できたら、そいつはすっげえやつだよ、やっぱり。

宮本 僕の場合、どっちだったんでしょうねえ(笑)。

糸井 宮本さんと僕ではね、生活面では僕のほうがお兄さんだっていう自覚はあるんですよ。職業的には宮本さんのほうが先輩ですけどね。

宮本 だから僕はここ(糸井事務所)へ人生相談にやって来るんですよ(笑)。

―― 開発中のゲームをここに持ってこられて、糸井さんに相談されることもあるんですか?

宮本 あんまりそういうことはやらない。

糸井 宮本さんはゲームに関しての相談なんか、僕にしないですよ。宮本さんと会っているときは、ほとんど高校の部室のノリですよ。ひとたび仕事の話になるとだいたい僕の方がちょっと甘く、宮本さんは辛くて現実的になるんですよ。

―― 今日もこの取材の後はお2人で打ち合わせと伺っているんですが、具体的になんの話をされるんですか?

糸井 大きい話。

宮本 世界戦略の話(笑)。

糸井 特に直接仕事にならなそうな話をよくするんです。世界戦略系の(笑)。今日この後は、お互いひさしぶりでたまっているから、熱い話を…、世界征服の話をしようと思ってます(笑)。僕が今考えていることの周辺の話をちゃんとして…、なんて言うかときどき宮本さんとフィールドを合わせたいんですよ。考えていることがどの辺にあるかっていうのを確認して、そうして一度会って合わせると後は電話やメールでのやりとりもスムーズになるんです。

―― 宮本さんは糸井さんにテキストやコピーのチェックをしてもらうことは?

宮本 たまにしてもらってます(笑)。タイトルの相談もたまにしますね。

糸井 宮本さんも「言葉って大事なんだよな。任天堂でもそのへんが育ちきれてないんだよな」って問題意識があるから、言葉一般についての話はよくします。
 








 

教えて糸井さん

Q 『MOTHER』のビジュアルと音楽スタッフを前作から変えた理由とは?

A ポリゴンになったからね。


ビジュアルについて言えば、ポリゴンになったために最初からスタッフ作りをしなきゃいけなかったのと、音楽は新しく入ってきた人がかなりよかったんで、「彼に賭けてみよう」と思ったのがいちばんの理由ですね。いわゆる有名人じゃあない人で、過去のつながりで考えられちゃうと本人も困っちゃうと思うんですけど、某RPGの音楽をやった酒井君といいます。ホント、スゴイいいですよ。これはトクしたわ~(笑)。酒井君はね、僕の書いたシナリオを読んで、その都度イメージを膨らましてくれるんです。シナリオがその音楽によってまた膨らむんですよ。ですからシナリオライターとしては最高にうれしいですね。



Q タイトルロゴに隠されたコンセプトは?

A コンセプトはしっかりありますよ。


いまの時代ってなにか排除することが多いでしょ。N64ファンでもプレイステーションやってもいいと思うし、同じ色のものが同じところにかたまるっていうのはイヤなんですよ。で、それを大きなテーマにしたいなあというのがあって、あのロゴも純粋なモノのなかに他のモノが混じっていて、普通はキモチ悪いんです。でもそこに僕らの抱く未来感が入っているというワケなんです。



Q 『MOTHER3』でのお気に入りのキャラは何ですか?

A 僕はね、脇役に惚れるタイプなんですよ(笑)。


キャラが動き出してから決まるということでしょうかね。ストーリー的には、やっぱ「ドラゴ」かなあ。「ドラゴ」っていうヤツがいてドラゴンみたいなヤツなんですけど、僕がシナリオ書いているときにとても思い入れが強かったんです。書いててジ~ンと来ましたね(しみじみと)。



Q MOTHER3のCMにキムタクは出ますか?

A 本人は出るつもりでいるようですけどね(笑)。


ただ、ギャラが高くなっちゃったからなあ(笑)。本人は当然出るもんだとばかり思っているようですけどね。『2』のときの少年は今何やってるんですかね。もう大きいでしょうね。



Q エンディングはまだ決まっていないのですか?

A まだ、ですね。

僕、コピー書くときもそうなんですが、思いついたらアタマのなかで壁に貼っといて、いつもそれでいいのかどうか考えるんですわ。それで、今日もオッケー、あしたもオッケーっていうのを繰り返していて耐えるモノを作るんですよ。ですから、これからもっと出来のいいものができる可能性があるんで、まだスタッフには言わないほうがいいなと。エンディングを明らかにするのは、「もうほかができちゃったんですけどね」みたいなところまでいかないと、スタートしないんじゃないかなあ。ただ、エンディングで泣けるかといえば、途中で泣いてんでしょうからね、きっと。エンディングは「ハッ!?」で終わっちゃうかもしれない。ホント、いや~なゲームですよ(笑)。



Q 『キャベツ』の正式なタイトルは?

A いや、まだ決まってないです。


でも『キャベツ』ってタイトルって妙にウケてるんだよね(笑)。あれ、まったくデタラメにいっただけなんですけどね。とにかく突然タイトルを聞かれて、うん、『キャベツ』ってことにしましょうって(笑)。(キャベツ畑の人形とか)そういうのが意識にあったんでしょうね。いまの時点では「キャベツ」でもいいと思っています。他のタイトル案もなくはないんですけどね。(※『キャベツ』は糸井さんがMOTHER3と同時進行で作っていたゲームの仮タイトル。結局未発売。詳しくはこちらを参照してみてください)



Q 『キャベツ』はどのようになっていますか?

A 「いよいよ来たか!」という状態になりました。


HAL研の岩田さんが入ってから、『キャベツ』を作るツールが圧倒的に近代化されているんです。そのツールを作るのがいちばん苦労の部分なんです。それがどうも見えたっていうか、できたみたいで、一方では仕様を固めているチームがあって、そのふたつをドッキングするところですね、いまは。だから、もう実際に動いています。それからキャラクターデビューについては鮮烈にやりたいんですよ。だからもうちょっと待ってください。11月の展示会でも出さないつもりです。任天堂社長の知らないところで動いているゲームなんで、これ。そういうのが面白くてやってるんです。デビューするのは年明けくらいじゃないかなあ。



Q イトリキカレーは世界一おいしんでしょうか?

A うん!! おいしいよ~。


昨日もニューヨークの矢野顕子夫婦から、子どもも含めて、シスターMも含めて、「おいしかった!」っていうファクスが届いていましたよ。もともと「糸力」っていう地酒屋があって、そこで作っているカレーを再現したんです。工場に頼んで作ってもらって、「通販生活」で売ってもらってるんです。ひと袋500円くらいするんじゃないでしょうか。僕は年に1回くらい超ホンキのカレーを作るんですが、そのカレーよりもうまいですよ。
(※イトリキカレーの公式通販サイトはこちらです。一度食べてみたい)



Q 糸井さんはこれからもゲーム制作に関わり続けるのですか?

A 僕がいっぱい仕事をするつもりです。


やっぱりゲームってコンセプトが大事だと思うんで、『キャベツ』以外にもいろいろ見ていきたいですね。『バス釣り』については、人体の動きで気になるところがあって、もっといい動きで釣りをするにはどうやったらいいだろうっていう基礎研究をHAL研の岩田さんがやってるんですが、それができたらN64で動き出します。それに64DDの大構想ができちゃったんで、今日はこの後、宮本さんに「えー、それはないでしょう」って言われることをいっぱい用意してるんですけどね(笑)。






●The64DREAM 1997年12月号(毎日コミュニケーションズ)より

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