唯一、プーチや他のおもちゃと比べると、お茶犬にはタレントとしての活動が新しい点としてあるんですが、これもね、新しいっていうのとは違うんじゃないなーって。
というよりも、「メディアに大量露出さえしておけば、アホな消費者は「なにこれー?」とか言って、喰らいついてくるんだよ、アホだから」なんて言ってる裏の人を勝手に想像してしまって、「バカにされてるのかなぁ〜」っていう感じがするんですよねー。
(我ながらなんでこんなにネガティブ思考回路なんだ、とは思うけど。ははは(^^;))
でも、なんでそう感じるのかっていうのにも理由があって、要するに「お茶犬がタレントと呼ばれる意味がわからない」んですよね。
別の書き方をすると、タレント「お茶犬」にとってグッズ(この場合、動くぬいぐるみのおもちゃのことを指してます)とはどういう位置付けになるのかが、よくわからないんですよね。
例えば、よくある芸能人のフィギュアみたいな感じの、「タレントグッズ」という位置付けになるのかなぁ、としますよね。でも、もしそうだとしたら、みんなが持っているお茶犬にそれぞれ個性を感じることができなくなるような気がするんですね。
タレントグッズっていうのは、テレビなどに出ているタレント自身が魅力的で、その魅力を常に手元に置いておきたいっていうことで生まれたわけですよね。だとしたら、テレビに出るお茶犬もタレントとして魅力的でなければならなくて、グッズはテレビのお茶犬の魅力を受け継いだ小さな分身であるという関係になるわけですよ。
でもたぶんそうじゃないですよね。
本当は、目の前にいるグッズのお茶犬に、まず個性を感じてほしいはずです。「ここにいるのは、見た目は他のと同じだけど、自分だけのお茶犬なんだ」っていう。
それが「癒し」につながるわけだし。
でもそうなってくると、タレントとしてメディアに登場するお茶犬は一体なんなんでしょうか。
自分のお茶犬は手元にいるんだから、別のどこかにいるお茶犬が登場してるってことなのかな。でもそれだと、お茶犬所有者にするとメディアに出ているお茶犬って、限りなくどうでもいい存在に見えます。
ちょうど自分が飼っているゴールデンレトリーバーと、テレビに出ている誰かが飼ってるゴールデンレトリーバーの関係と同じですよ。種類が同じというだけで、それを見て(かわいいと思うかもしれないけど)癒されはしませんよね。
これじゃあ、通常のタレントとタレントグッズの関係は築けない、というか、お茶犬をタレントとして呼ぶのに無理があるように思えます。
それでやっぱり、メディア露出のための口実として、お茶犬を(本当はプーチと同じおもちゃなのに)むりやりタレントと呼んでいるだけだぞ、と思ってしまうわけです。はい。
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