最近こんな曲を聴きました。
例えばの話ですが、誰かに、「この曲いいから聴いてみなよ」と猿岩石のCDを手渡されたらどう思いますか?
その昔、猿岩石のCDを買ったことがある人でさえ、
「今、このご時世に”猿岩石”はないでしょー」って思うでしょう。へたすると、その人のことが嫌いになるかもしれません。そんな大昔のブームで売れた曲なんて聴きたくもないですよね。
なぜそんなことを書いたかというと、僕が最近になって再び猿岩石の「昨日までの君を抱きしめて」という曲を聴きたからです。でも今でもいい曲だったのです。これはちょっとした発見でした。
そしてたまごっちです。
たまごっちは96年11月、猿岩石のファーストシングル「白い雲のように」は翌月の12月発売です。今から3年と少し前ですね。その割にはもっと前のことのような気もしないでもありません。
ブームになったものというのは冷めやすいので、そう感じるのでしょうね。
…。
「なぜ今たまごっちを取り上げなければならないのか」
…と率直に聞かれると、うまく答えられるか不安ですが、たまごっちには時代とともに置き去りにしてはいけない何かがあるような気がしたんです。猿岩石のように、って訳でもないのですが…。
とにかく、話を続けてみます。
たまごっちを取り巻く人たち
たまごっちブームのあの時、僕たちはみんなたまごっちに注目していました。心の底から「たまごっちがほしい!」と思ってる人が街にはあふれるようにいた気がします。
かたや一方で、たまごっちに批判的な意見も飛び交いました。その焦点は作品中の「死」についての扱い方についてだったと思います。
しかし、ふと気がつくとたまごっちはプレミア商品からワゴンセールの対象商品になっていました。そしていつの間にか、たまごっちを欲しがる人も批判する人もいなくなってました。
なんだったんでしょうか…。ブームと言うのは大抵そんなものだと言われたらそれまでのような気もしますが、そのひとことで忘れてしまってよかったのでしょうか。
僕たちの間違い
たまごっちを欲しがったあの頃の僕たち。でも、本当にそんなにたまごっちをやりたい人がいたのでしょうか。実はそんな人、皆無だったのではないでしょうか。
では僕たちはなんで、たまごっちが欲しかったか。それはただ、たまごっちを持っているとまわりから注目されるからですよね。
僕たちはそんな降って湧いた欲望のために、子供や孫の一瞬の笑顔を見たいがために、街を駆け回りました。
悪辣な業者が経営する恐ろしく倍率の低いくじを引いたり、定価の何倍もの価格で売ってるたまごっちを見て、それでも欲しくて、あやしい人たちにお金を支払いました。
そういう人たちのもとに、拳銃何丁分、覚せい剤何キロ分のお金が流れたのか、それすらも知ろうとせずに僕たちは政治家の汚職や癒着を批判したいだけ批判して、のうのうと暮らしています。
僕たちは”ペット”を育てると言いながら、その行動には何の愛情もなかったのではないでしょうか。
明解のでない話
そしてもうひとつの僕たち――、たまごっち批判を繰り返していた人たちが正しかったかと言うとそうじゃないと思います。
確かに、たまごっちのシステムには無理な部分もありました。だからといってその全てを否定してしまって本当によかったのでしょうか。
たまごっちの死に泣いた子供の涙は、本当の死に直面した正直で純粋なものだったと思うのです。
世界的社会現象だった当時、どこかの国の神父がたまごっちの死の扱い方を批判し、本当の命の尊さを学ばせるため本物のひよこをたくさん買い取り、それを子供たちに配る運動を起こしたそうです。しかし神父のひよこたちがにわとりに育ってしまったため、しばらくして運動は中止になってしまいました。
この神父と、電池で動くものに命という概念を表現させてしまおうとした一企業と、どちらが正しく、どちらの詰めが甘かったのでしょうか。
もうこれは、僕たちが簡単に判断できるほどの問題じゃないですよね。
時代の流れの心地よさ
もし今、たまごっちをやれと言われたらできますか?たぶんほとんどの人ができないでしょう。そんな古くてダサいことは。
でも、「古い」って何でしょうか。「ダサい」って何でしょうか。
何も省みず、何の発展もなく、ただ目の前に来たものを次々に消費していくだけの行為が、そんなに新しくてかっこいいことなんでしょうか。
愚かな行為と言われるかもしれない。それでも、何もかもが遠ざかった今改めて、おもちゃ屋を巡り、たまごっちを買って育ててみる…。その時にこそあの時には気づかなかった本当の発見がある気がするのです。
そこに発見があるかもしれない…。だけど僕たちは、そう分かっていても絶対実行なんてできないんです。
それだけ、時代の流れに身を委ねることが心地いいんです。このままずっと流れて行けるなら、真実なんて取るに足らないちっぽけなものになってしまうんです。
それが時代なんですね。
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