私のペット人生
21世紀になり、宇宙人に地球の存在を発見され、我々の生活は劇的に変貌した。宇宙人の間で人間をペットとして飼うことがブームになったのだ。ブームと言っても連れて行かれるのは子供ばかりで、自分のような中間管理職のオヤジなどには声はかからないだろうと高を括っていた。ところが、どういうわけか私のところへも青電が届いたのである。青電というのは、宇宙人からの電報で、「1週間後に迎えに来るので、それまでにひととおり挨拶を済ませておけ」といった意味がある。私はこの1週間、会社や親戚、知人などのところへ挨拶をして回った。1週間の間に逃げた人もいたらしいが、どうも、どこにいてもやつらは”そこ”にやって来るらしい。それにしても私が挨拶をする時、皆一様に「それはそれはお気の毒に…」と言う。もう誰もが慣れていることだとは言え、「それは」の繰り返しは、胸にくる。まあ、家族でさえも冷たい反応だったのだから、仕方はあるまい。かくして私は知らない星に連れてこられたのだ。
私をペットにした宇宙人たちは、人間よりも大きく、外見もかなり違う。カブトムシの幼虫を進化させて、妙にてかてか光る服を着せた感じ、とでも言おうか。そして、その宇宙人の住む星は自転が遅いのか、1日がやたらと長い。その代わりに、気候や環境は良く、その点はすぐに慣れた。そして、肝心の食料だが、これが変わっている。みかん大程の球状で半透明、黄緑色のカプセルを1日4回与えられるのだが、それを口に入れた瞬間に薄いカプセルが解けるように裂け、中から”味のない水飴”のようなとろりとしたジェル状の物質が口いっぱいに広がってくる。その味といい、のどごしといい、地球では感じたことのないものであったが、そんな体験など、できればしたくはなかったのは言うまでもない。
普段はずっと室内にいらされる。その時は主人(一応、そう呼ぶことにする)たちの生活スペース内であっても、わりと自由に動くことができる。ただ、たまに屋外に連れ出されることもあるのだが、その時は違う。ただ、紐などでも繋がれずに、主人のあとについていくスタイルとなるので、一見自由に行動できそうな気もするが、これができないのだ。ある程度主人から離れると、あわてて主人のもとへ戻らなければならない気がして、つい戻ってしまうのである。この感覚の説明は難しい。おそらく、目には見えない光線などでできた紐で繋がれているのか、もしくは脳神経に細工でもさせられているのであろう。
その日も、いつものように外に出て主人と外へ散歩に出かけていた時のことだった。外では私と同じように宇宙人と散歩をしている地球人に出会うことが、これまでにも幾度とあったのであるが、いつもそれは外国人で、残念なことに会話は成立しない(この時ほど外国語を勉強しておけばと思ったことはなかった)。しかしこの日は違った。日本人の若い男性だったのだ。すかさずコンタクトを試みたのだった。
「日本の方ですか?」
「そうです」
「よかった、私もです。やっと日本の方に会えました。私はここに来て間がないのですが、おたくはどうですか?」
「僕は…、もうすぐ1年になるかな」
「へぇ、というと第1陣メンバーで?」
「はい。最初にここへ来たメンバーの中の1人ですね」
「こちらの生活はいかがです?」
「そうですね…。幸せというものが何であるのか、ここへ来てはじめてわかったのかもしれません…」
残念ながら会話はこれだけに終わった。それでも生の日本人の声が聞けてよかった。おそらくこの人は地球にいた頃はいろいろと不満のある暮らしを送っていたのだろう。地球からどのくらい離れているのか、それすらも分からない惑星に来て初めて今までの生活がどんなに幸せにあふれていたか、実感したのだろう。しかも、そう気づいた時には、もうその幸せな暮らしは2度とできない。私はこの晩、家族や友人のことを思い出し、なかなか寝付けなかった。
月日は流れていった。当初はこの星の住人たちの喜怒哀楽の表情が全くつかめず、何を思っているのか、何を考えているのか、さっぱり理解できなかったが、この頃にはかなり判別つくようになっていた。あの例の食べ物も、何度も口にすると微妙に味があるのに気づいた。食べるごとに舌の感覚を違ったように刺激するのか、毎日食べているのに飽きるどころか、毎回新たな発見、感動を覚える自分がいるのである。どう考えてもまずそうなのに。不思議な感覚だ。
最近の私の日課は主人の観察である。外見はどう見ても20世紀のB級SF映画に出てくる、地球を乗っ取りにやってきた悪い宇宙人だ。しかし、意外にやさしい人柄だということに気づきだした。私が前に右手を骨折したことがあったのだが、病院までのあいだ、乗り物の中で心配そうに見守ってくれていた(ちなみに、その病院では赤い光を浴びただけで骨折を完治させてしまった)。また、主人の家族たちもいい人たちで、私のことをでょんとうの家族の一員だと思って接してくれているようであった。そして、こんないい人たちが、人をさらってペットにしているのである。この星の人の心には天使と悪魔の両方が宿っているのか。そのように考えることもあったが、私の最終的な結論はこうだ。
「この星の住人たちは地球人をさらってくることを悪いことだと思っていない!」そう。むしろ、良いことをしたと思っているのかもしれない。地球のような野蛮な世界で生きるよりも、恵まれた環境で楽に暮らせるのだからいいではないか、そう思っているのではないだろうか?
もしそうだとすれば、これほど迷惑な話があるだろうか。私は地球で死にたかった。
2〜3日くらい前からだろうか、体がだるく感じるようになったのは。それが今では例の病院で、今度は入院である。今はだるいなんていうものじゃなく、内蔵など、重苦しく痛い。動くこともできずに寝たきりである。私の体はガンか、もしくは悪性のウイルスにでも感染しているのだろうか。主人はつきっきりで看病してくれている。今は主人の家族も面会に来てくれている。揃ったように哀しげな顔が並ぶ。この様子では、なおる見込みもなく、近いうちに死ぬのだろう。しかし、私はこれでいいとも思っている。私は私のことを心から心配してくれている人たちに看取られながら死ねるのだ。急に見知らぬ星に来てからというもの、いろいろなことを考えたものだ。いつか散歩の途中に出会った日本人の言葉を思い出す。『幸せというものが何であるか、ここに来てはじめてわかった』と言う彼。この幸せというのは、実はこの星へ来てからの暮らしのことを言ってたのではないだろうか。無味乾燥だった日本での暮らし。他人や、身内でさえも想いやれない人々の集団。皆が自分だけの幸せを追い求めるあまり、皆が不幸に陥っている。そんな地球に比べたら、確かに易しい宇宙人との暮らしの方が幸せだと言えるだろう。ただ、私にだってペットの生活に何の不満も抱かなかったわけではない。何度も帰りたいと思った。それだけで1日が終わった。こんな今だって帰れるものなら帰りたいと思っている。でも…、それでも、私はこの星へ来られてよかった気がする。まんざらじゃなかった。どうしてって、生き物のやさしさ、幸せに触れることができたのだから。
(書いた日:1997.11.8)
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